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【ミステリ】いつまでもショパン/感想

中山七里著「いつまでもショパン」を読み終わりました。

これは「さよならドビュッシー」、「おやすみラフマニノフ」に続く岬洋介シリーズ三作目。
もともと「Altessimoで音楽ミステリがやりたいな」と思っていたところに、たまたま本屋で「さよならドビュッシー」を見つけたことがきっかけだったんですが。
いやほんと、読んで大正解でした。
本を読み終わってすぐ、「これ、いま感じたことを書きとめておかないと損だ」って思ったの、はじめてです。
だから、いまネット接続できないことも忘れてパソコンを起動してしまいました…回線繋がったらアップするはず。たぶん。
(追記:書いてから一週間後のアップです。読み返しも推敲もしていません。真夜中4時の文章をそのままお読みください)

先ほどちらりと触れましたが、この岬洋介シリーズ、カテゴリは「音楽ミステリ」です。
めっちゃくちゃざっくり言いますと、めっちゃすごいピアニストがめっちゃすごいピアノ技術披露しながらめっちゃ鋭く事件を推理していく、そんな感じです。

「ミステリ」の部分はそんなに複雑ではないように思います。
少なくとも私は二作目、三作目、それぞれ難なく犯人当てを当てられました。
ただ、一作目ではできなかった。
これがこのシリーズのすごいなと思うところで、「音楽」の部分の濃度がハンパじゃないんです。
一作目は、「音楽」の部分の熱量に引きつけられる余り、「ミステリ」であることを忘れていて、最後の最後、犯人当てのところで度肝を抜かれました。

突然ですが、私、音楽は好きじゃありません。
ピアノ教室は一ヶ月ぐらいで行くのをやめたし、音楽の授業も適当にこなすだけ、のだめカンタービレも音楽描写の部分はななめ読み。
一時期ほんの少し合唱もやりましたが、それでも私の根本にある「音楽のなにがいいわけ?」って感情は払拭できませんでした。
その「音楽のなにがいいわけ?」っていう疑問を、この本がある程度和らげてくれたように思います。
今までだって、いくら音楽が好きじゃないとはいえ、ロックとか激しい音は苦手で、ジャズのような耳触りのいい音楽が好き、ぐらいの嗜好もありました。
ただ、「音楽を好む人の気持ち」「音楽を奏でる人の気持ち」というのが、さっぱり理解できなかったのです。
「ノーミュージックノーライフ」とか良く言うけれど、私は音楽なんかなくたって平気で生きていけるし、あした突然音楽すべてが世から消えても一切嘆くことはないだろうと思っていました。
極論をいえば、今もそうです。
けれど、このシリーズを通して、音楽が世から消えるだけでひどい絶望を覚える人間というのが世には居るのだな、ということを学びました。

音楽を奏でる人は、なにを思いながら奏でるのか。
音楽を奏でることに、どんな意味があるのか。
なぜ音楽を聴かなければならないのか。
音楽を受けて、なにを思うのか。

もしかしたら普通に感受できて当たり前のことなのかもしれませんが、そういったものを生まれてはじめて思い知った気がします。
いえ、本当はまだ思い知りきれていないんでしょうけれど。

まだまだ自分語りになりますが、「音楽を奏でる」というのはひとつの表現であり、その表現をおおらかに行えるということが、私には存在しないシステムだなと思います。
自分の気持ちというのは出来るだけ内側に秘めて秘めて秘めておきたい、それで当たり前だという思いでこの二十数年間を生きてきました。
だから、「音楽」を通じて「感情」をありったけ放出させるという行為があることを、はじめて知りました。
理解はできませんが、そういう人も居るのだなあと言う勉強になりました。
勉強したので、ちょっとは見習おうと思って、こうしていま、自分の感情ありのままに書き連ねてみている次第です。

また、音についての多彩なる表現もすばらしいです。
あまりの熱量と情報量に、演奏シーンがはじまると、ミステリであることを忘れてしまいます。
二作目、三作目はそうならないよう、なるべくななめ読みでやり過ごしましたが(だから犯人を当てられた)、落ち着いたらまた演奏シーンをじっくり堪能したいです。
まったくの無知である私にとって、音楽シーンの描写は基本的にぜんぶ何言ってんだかまったくわかりません。
優美だとか絶望だとかそういう「どういう曲なのか」ぐらいはつかめるのですが、専門用語とピアニストの手の動きの描写が、いまいちピンと来ないのです。
わかったことといえば、「意外とピアノ演奏ってしんどいんだな」ということぐらいでした。
ただ、それでも私にとっては大きな衝撃でした。
あの、すっごいバカなことを言いますけれど、ピアノ演奏って疲れるものなのですね。
いやあ、私、家にエレクトーンとかあったんですけどね。
私にとっては「つまらないおもちゃ」でしかなかったピアノ(エレクトーン)なのに、本気で情熱を注げばこうも変わるのかと、非常に驚きました。

もしかすると、音楽にもう少し明るい人であればそこまで衝撃的な本ではないのかもしれません。
吹奏楽とか合唱とかバンドとか、それこそピアノそのものであったり、「演奏すること」「音楽を聴くこと」に長けている人にとっては、当然のことが書いてあるばかりなのかも。
あるいは、最初から「音楽」であり「ミステリ」であることをきちんと頭に入れていれば大丈夫かもしれません。

ただ、私にとっては衝撃でした。
ちょっと二次創作の助けになれば、と軽い気持ちで何の気なしに手にした本だったので、心の準備がまったく出来ていなくて、唖然としました。
今こうして、うまれてはじめて自発的に読書感想文をしたためるぐらいには、感動しました。
ついでにいえば、二冊目を読み終わった段階で生まれてはじめてクラシックのCDをレンタルするぐらいには影響を受けています。
とはいえ、クラシックもオムニバス形式のゆったりとした「睡眠用BGM」のもので、今のところじっくり拝聴するというより、寝ながらなんとなく流す程度なのですが、思ったよりずっと悪くないです。
というか、めっちゃイイです。
これからはこの本に出て来たような曲を改めて聴いてみたいなと思います。
いつか、この本で表現されているような、音楽を愛する人たちの情熱を理解できることを願って。

以上で、自分語りなんだか読書感想文なんだかよくわからない、私なりの情熱の表現を終わります。
ここから先は、「岬洋介シリーズを読んだうえで改めて考えるAltessimoについて」すこしだけ。


改めて言いますと、「私、音楽のことはなにひとつわかりません」。
さきほども散々語りましたが、その知識も魅力もキーポイントも難点もなにもかも全部わかりません。
あるのは、「それを理解したいな」というぼんやりとした希望ぐらいのもんです。
なので、この先、音楽の知識がしっかり備わっており、今まで音楽を楽しく聴き、正しく理解しえていた人にとっては「え?今更?」という話のオンパレードかもしれませんが、ご容赦を。

この本の中には「演奏中のピアニスト」の表現が数多くあります。
楽譜に従い規律正しく弾くものもあれば、明るく朗らかに弾くものあり、感情ゆたかにすべてを晒すものあれば、完璧に音を追うものあり。
その個性的な演奏を読みながら、こんなにピアニストによって違いがあるものなのだな、と驚きました。
私にとっては大体ピアノなんか全部一緒です。
のだめカンタービレののだめはちょっと変なんでしょ?ぐらいのイメージでした。

こうしたことを受けて考えると、やっぱり麗くんって規律正しく、そして完璧に音を拾いながら演奏するタイプかなと思いました。
だから、一度自分の演奏を見失ってしまうとどんどんと沈んで行き、最終的にヴァイオリニストを引退することになる。
そして、都築さんは、まああのSRの表情を見ればわかるとおり、感情ゆたかに今受けている気持ちをありったけ晒しながら演奏するのだな、と。
だから、音楽家としても成功できる。音楽に、自分の気持ちを落としこんで表現することができる…っていうかむしろそれしかできない。
こう書き出してみると、こんなこと別に今更なんですよね。
雑誌見ればわかる程度の考察でしかないです。
ただ、なんていうんでしょう、この本を読んだことによって「ただゲームの中に書いてあったから、そういうキャラなんだな、と思って受け取る」のではなく。
「こういうキャラだから、ゲームの中にあるこういう行動になるのだな」と感じることができました。

あと、ここからはシリーズ全体ではなく、三冊目の「いつまでもショパン」の話になりますが。
この「いつまでもショパン」、主人公は幼少期から音楽を奏でることを強いられている青年です。
言葉を覚えるよりも早く鍵盤に触れさせられ、父や祖父がなしえなかったコンクール優勝を叶えるためだけに育てられた存在。
この青年の独白を読み、葛藤を追い、そして最後の決断に触れるにつけ、「神楽麗もこういう環境なのかな」と少し思いました。
まあ、ぜんっぜんきちんと考察していない一案というか、「こういうのもありかな?」ぐらいの思想メモですが。
名だたる音楽一家の末子として生まれ、音楽を奏でるために育てられて、その果てに名誉なり金なりを手にすることを求められている、それだけの存在。
…うーん…やっぱり、「お金持ちの坊ちゃんがヴァイオリン弾いてみたらすごいうまくて、いつしか背負えないぐらい期待されてた」のほうが正しそうですが。
「お金持ち」なのはやはりそうかな、と思ってしまいます。
「いつまでもショパン」作中でも、音楽家を育て上げるには相当な金が必要だという記載もありましたし、まあ、冷静に考えなくてもそうだと思います。
あんまり物語上のことを信用しすぎるのもどうかと思いますが、素人目にもこの一点は納得できました。
麗くんの場合、やっぱり身なりがお上品なので、そこそこ名家かなと。
問題は「音楽一家」なのか、「ただの金持ち」なのかですが、最初は後者かと思いましたが、姉の存在が前者でもおかしくないなという気にさせられます…。
というところから浮かんだ案でした。

ついでに言うと、麗くんが「生まれたころから音楽一本」の存在だとすれば、都築さんとの対比もできるかなと思いました。
とはいえ、この都築さんについてもあくまで根拠もなければ熟考もしていない妄想に過ぎないものですが。
あの通り不安定に生きてきたであろう都築圭において、「音楽」とはいったいなんなのか。
考えるまでもなく、本人が名言しています。
「生きるために必要なもの」です。
多分、都築さんって、「音楽とは」とかあんまり考えていない気がします。
あえて語らせればある程度喋るでしょうけれど、自然と「音楽」を表現出来てしまっているので、深く考える必要はないんじゃないかな、と。
だから「音楽」があれば、なんでもできます。
言葉より雄弁に語ることもできるし、あんなにふわっふわしていても一応社会人として働き、金を得て生活もできます。
最初からわかってしまっているので、理解せねばなるまいと必死になることもありませんし、「音楽」に対する壁も不信感もありません。

一方(私の妄想のなかの)神楽麗は、「音楽」を理解することを強いられている。
「音楽」とはなにが正解で、「音楽」とはなにを表現できて、「音楽」とはそもそもなんなのか。
それを理解したり、理解できていなくてもいい、最低限疑問に思うような余地まで自我が育たないうちに、「音楽」を押し付けられる。
自然とある程度は理解し、ある程度は勉強し、ある程度は表現できていくようになるのでしょう。
そしてある程度の成功はおさめることができる。
けれど、「その先」がわからない。
一方で、大人たちはこぞって「その先」を求めて来る。
理解しようともがくほどに、「音楽」に対する壁と不信感が募っていく…というのも…ありかなって思ったんですけど書きながら疑問です。どうなんでしょう?

つまり麗くんにとって「音楽」とは「名誉なり、金なり、そういったものを得るためのもの」であり。
都築さんにとって「音楽」とは「言葉なり感情なり、なにかを表現するためのもの」であるのかな、と感じました。
そしてこれから、麗くんは「音楽」、ないしそれを通じて「自分を表現する」ことを覚え、
都築さんは…都築さんは名誉とか知ったこっちゃなさそうだな。作曲家の時点である程度ありそうだったくせに、平気で捨ててアイドルになるんだもんな…。

ただ。
麗くんが「きっちり楽譜通りに演奏をこなし、完璧に間違わない」タイプの演奏家であると仮定した話ですが。
そういった場合は、あの都築さんの溢れんばかりの音楽表現にはある程度影響を受けていくのかな、と思います。
都築さんのVi値が高いのは、外見よりそういう表現だったりも……しないな……さっき「音楽でしか表現できない」みたいなこと言ったばっかりだもんな…。
雑誌のグラビアで都築圭がきっちり自分を表現できるはずがない、ごめんなさい、撤回します(ひどい)。

都築さんのVi値ついでにいいますと、Da値についても。
まあ、ダンスができないのは見ての通りというところですが、なんで踊れないのでしょうね?
リズム感はまず間違いなくばっちりでしょう。
そして、歌がうまいのであれば、腹筋とかそういった体力もゼロではないと思います。
本気で体力が皆無の私はカラオケでか細い声しか出せないのですが、都築さんにそんなイメージはありません。
それに、前述もしましたが、ピアノ演奏ってめちゃめちゃしんどいそうで。
というのはあくまでこの本から読み取ったことなので、実際どうであるかはわかりません。
曲と弾き手次第だろうとも思いますが、確かに腕の力とか、反射神経だとか、かなり必要だろうなとは感じました。
都築さんはあくまで「作曲家」であって「ピアニスト」ではないので、一体どの程度ピアノが弾けるのかはわかりかねますが、都築圭という人物へのイメージだけで言うと相当うまくあってほしいです。
だってあんなんなんだからせめてピアノはちゃんとうまくあってほしい!(笑)
その上で、感情豊かに情緒ばりばりに弾くタイプであると仮定するならば、普通に淡々と完璧に弾きこなすより数段疲れるようなイメージがあります。
受け売りばっかりになってしまいますが、「いつまでもショパン」作中ではそういった描写がありました。
となると、やはり「体力はある程度ある」という結論になります。
そうなると「ご飯をあまり食べなくとも生きていける」のも多少は納得できるような気がするんですよね。
演奏するときのエネルギーの消費量はものすごく、常人以上である。
反面、普段はぼんやりと過ごしてあまりエネルギーを必要としていない。
…であれば、実はわりと体力があって、エネルギーも見かけ以上に蓄積しておけるので、ご飯を食べていないように見えるけれど、案外動ける状態である。
ただし、演奏するとどっと消費するということになってしまいますが…どうなんでしょう、SR+見ると汗かいてるので、やっぱり普段よりずっとエネルギーは消費しているものだと思いますが。
そういう考えでいくと、踊れないのはダンスを演奏として認識していないからかもしれません。
演奏ではないので、「ここはエネルギーの使いどころ」という発想にもならない。
そのうち、ダンスも音楽を通じて表現するものの一種、と気付けばうまくなる…可能性もあるかな?と感じました。
ピアノが弾けるのであれば、必要な反射神経なりなんなり、備わっているとも思いますし。

また、「音楽」についてある程度真正面から向き合う必要があった麗くんは、その表現方法が「ダンス」になったとしても、今までの知識があるので、少しならなんとかなる。
けれど、今まで純粋なる感受性だけで「音楽」と付き合ってきた都築さんには、新たな表現方法を理解できない、とか、どうでしょう。
そういう理屈でいうと、感受性を磨けばそのうち勝手に覚えそうなので、ダンスのうまい人たちを見ていればなんとかなりそうな気がします。
漣のダンスを見て「なるほど、そういう風に動けばフォルテが表現できるのか」とか言い出す都築圭。
そんなこと言われても別に意識してないから「ハア?なにいってだこいつ」みたいな顔する(下手したら、否、下手しなくても口に出す)漣、とか。

…とはいえやっぱり、「俊敏に動く都築圭」ってめちゃめちゃ想像できないので、そういうキャラでいくと一生踊りはうまくならないままかもしれませんね。
ダンス系の曲をAltessimoに与えるような無能プロデューサーであれば話は別ですが。
この辺はドアラのAltessimoバージョンを聞いたりして更に妄想していきたいです…声、つきます…よ、ね?信じてるよ山村ァ!

ううん、どうしても自分でも納得のいくような考察になりませんね。
私の妄想と原作曲解ではこれが限度です。
いや、ほんと、お見苦しい解釈で申し訳ない。
でも、音楽についてほんのすこ~しだけですが、興味を抱くだけで今までとは考察が段違いで驚きました。
もうちょっと音楽について触れて、もうちょっとまともな妄想をしていきたいものですね。
幸いにしてAltessimoはもう二か月も連続でイベントが来ましたし、ちょっとは自分の妄想を遊ばせる時間はあるでしょう。
…あってほしいです(願望)


おわりだよ~(○・▽・○)

…散々した自分語りをさらにひとつ付け足しますと。
もちょで締めればなに書いてもいいと思っている節があります、私。

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